栗城史多の指再生と来歴!評判や実力は?AbemaTV(スポンサー)企画の詳細

エベレスト・登山

アロハ~ハワイ移住を計画中のラニです!

登山家の栗城史多さんが、8度目の
エベレスト登頂に失敗し、下山中に死去

されました。

5月18日のYoutube動画では体調不良
ながら、21日のエベレスト登頂を宣言
していただけに、驚きを隠せません!

直前まで元気だった栗城史多さん

栗城史多さんと言えば、ヘッドカメラを
付け、登山家目線で雪山登山の美しさ、
過酷さを配信されていました。

正直、あんな動画は見た事がなかった
ので興奮しましたね~
超リアルなクレパスや樹氷、栗城史多
さんの息遣い。

エベレストの魅力を誰よりも伝えたい
という気持ちが伝わる動画です。

こういったYoutube動画やTwitterの
ツイートをリアルに伝えるために、
登山中もスマホを操作できるように、
指先が出た手袋を着用していましたが、
それが原因で9本の指が凍傷になり、
指の再生を試みるも最終的には
切断することになります。

ここでは、そんな栗城史多さんの

  • 栗城史多の死因や事故の概要
  • 栗城史多のWIKIプロフィール
  • 栗城史多の指は再生してた?
  • 栗城史多の来歴
  • 栗城史多の評判や実力
  • AbemaTV企画の詳細
  • スポンサー企業一覧

などについて、ご紹介します。

 


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栗城史多の死因や事故の概要

今回の死亡事故は、4月17日から
チャレンジ中だったエベレスト登頂の
途中で起こりました。

冒頭の動画にあるように、5月18日の
早朝時点では、エベレストの山頂を
目指し意気込む
姿がありますが、その後
体調不良の為、下山を選択
します。

通常のエベレスト登山であれば、
シェルパと呼ばれるエベレストの案内役
を現地で雇い、パーティを組んで一緒に
登頂する
のが常ですが、栗城史多さんの
登頂スタイルは、単独&無酸素(酸素
ボンベを使わない)
が基本です。

その為、山頂に向かう途中で体調不良と
なり、やむなく登頂を断念し、単独
下山中に今回の死亡事故が起きてしまい
ました。

少し下で待機するスタッフとの無線連絡
が途絶え、夜になっても栗城史多さんの
ライトの明かりが見えないことから、
翌朝スタッフが救出に向かうも、
低体温症で既に亡くなっていたそうです

その後、栗城史多さんの遺体はヘリで
収容
されたとのことです。
 

栗城史多のWIKIプロフィール

  • 本名 栗城史多(くりき のぶかず)
  • 出身地 北海道瀬棚郡今金町
  • 生年月日 1982年6月9日
  • 年齢 享年35歳
  • 身長 162cm
  • 体重 60kg
  • 最終学歴 札幌国際大学
  • 職業 登山家、起業家

 
栗城史多さんは、札幌国際大学の山岳部
に入部
し、登山を始めます。

その後、マッキンリー(6194m)の
単独登頂の成功
を皮切りに、6大陸
最高峰(キリマンジャロ、エルブルス山
、コジオスコ、ウィンソン・マシフ、
デナリ、アコンカグア)にチャレンジ

するなど、登山家として本格的に歩み
始めます。

2011年9月には、よしもと
クリエイティブ・エージェンシー

業務提携し、単独無酸素でのエベレスト
登頂をインターネット配信する企画

行ったが、山頂までたどり着けず下山と
なり、失敗に終わっています。
 

栗城史多の来歴

栗城史多さんの来歴(登山歴)を
まとめておきます。

【2004年】
6月12日17時10分 マッキンリー(北米最高峰 標高6,194m)登頂

【2005年】
1月 アコンカグア(南米最高峰 6,959m)登頂

6月 エルブルース(ヨーロッパ最高峰 5,642m)登頂

10月 キリマンジャロ(アフリカ最高峰 5,895m)登頂

【2006年】
10月 カルステンツ・ピラミッド(オセアニア最高峰 4,884m)登頂

【2007年】
5月 チョ・オユー(世界第6位高峰 8,201m)登頂。7,700m地点からスキー滑降した

12月 ビンソンマシフ(南極大陸最高峰 4,892m)登頂

【2008年】
10月 マナスル(世界第7位高峰 8,163m)に「無酸素」「単独」登頂したと主張するが、ヒマラヤン・データベース、日本山岳会の双方から登頂を認定されていない

【2009年】
5月 ダウラギリ(世界第8位高峰 8,167m)登頂。インターネット生中継を行う

9月 チョモランマ・北稜北壁メスナールート(世界最高峰 8,848m)登頂を目指したが、グレートクーロワールに達せず、体力の限界により7,950mで敗退

【2010年】
5月 アンナプルナ(世界第10位高峰 8,091m)登頂を目指したが、7700mで敗退

8月末 二度目の挑戦となるエベレスト・南東稜ノーマルルート登頂を目指したが、C4サウスコル7,900mに達することができず7,750mで敗退。この挑戦では栗城隊のシェルパが1人死亡している

12月 登山とインターネットを結んだ功績が評価され、ファウスト大賞を受賞

【2011年】
5月 シシャパンマ(世界第14位高峰 8,013m)の登頂を目指したが体調不良により敗退。南西壁から7600m地点まで

8月末 3度目の挑戦は、エベレスト・南東稜ノーマルルートで登頂を目指したが敗退。再度アタックするために、7800m地点の雪の中に食料などを埋めてからベースキャンプに戻ったが、埋めていた食料をキバシガラスに食い荒らされたため登頂を断念したと発表。

今回のアタックで、同行したフリーカメラマンの木野広明がくも膜下出血で死亡。

【2012年】
5月 シシャパンマ登頂を目指したが、7000m地点到達前で前進できず敗退。下山中に滑落して負傷したため、救助のシェルパと共に下山した。

今回の登頂では、序盤から荷上げの際にガレ場で転倒し膝に怪我を負う。一度アタックステージに入るも、ロープを忘れてベースキャンプ取りに戻るなど、数日を無駄にするなどの失態を連発。

スケジュールが詰まってくる中で6000m以上の高度で宿泊する高地順応作業も行わず、さらに予定していたC1(6700m地点)、C2(7500m地点)などの中間キャンプの設営もしないまま深夜の最終アタックに出た。

8月末 4度目の挑戦となるエベレスト・西稜ルートで登頂を目指したが7700mで敗退。C2(6400m)地点で人差し指が凍傷に罹患していたにも拘らず登山を続行。当初予定していた地点より500m低い7500m地点のC4から最終アタックに出たものの強風のため撤退。凍傷が悪化しC4からの下山が不可能になったため救助を要請し、シェルパによりC2まで下ろされた後、ヘリコプターでカトマンズの病院に搬送された。

【2013年】
11月から2014年1月にかけて、2012年に受傷した凍傷のため両手指9本を切断

【2014年】
7月24日 ブロード・ピーク(世界第12位高峰 8,047m)登頂

【2015年】
8月 五度目のエベレスト登山に挑み、南東稜ノーマルルートからの登頂を目指したが、サウスコル付近で敗退

【2016年】
5月 アンナプルナ、6300mで敗退

9月より6度目のエベレスト登山。9月2日にベースキャンプに入り、「北側(中国)のグレート・クーロワールをアドバンス・ベースキャンプ(通称ABC)から氷河を登りつめ、傾斜の緩い壁に入り、そこからダイレクトに山頂を目指す」としていたが7400mで敗退。

敗退については「秋は風と雪が多く条件が難しいので、次回は雪が少ない厳冬期を考えている。」「持参したGPSは7500m以上だとズレが大きく、また重量軽減の理由もあり途中から使用を中止した。」と語った。

【2017年】
2017年春 中国側からエベレスト北壁に挑むとしていたが、遠征後半にネパール側に移動するなどルートを二転三転し、最終的に5月29日にネパール側ノーマルルートの6800m付近まで登った直後に断念した。

【2018年】
5月21日 8度目のエベレスト単独登山中に体調を崩し標高7400m付近より下山。キャンプ2付近にいた撮影隊がルートを登って捜索したところ、死亡している栗城の遺体を発見した。35歳没。

同行したシェルパ4人が確認した。同日、株式会社たおは栗城が遺体で発見されたことを発表した。同日にAbemaTVでの登山生放送を予定していた矢先での遭難だった。

 


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栗城史多の指は再生してた?


栗城史多さんは、2012年10月に
4度目のエベレスト登頂を試みた際、
鼻や両手・両足の指が重度の凍傷

かかってしまいます。

その後、栗城史多さんは凍傷で腐り
かけていた指を切断せずに、再生療法
探し、いくつかの再生療法を試みました

  1. インドで高気圧酸素治療や血管拡張剤の投与を行う
  2. アメリカの「指が生える魔法の粉」療法を模索
  3. 漢方や高濃度炭酸、幹細胞再生医療を受ける
  4. ウクライナで再生治療を受ける

 
これらの指再生療法を受けるも、指再生
には至らず、最終的に栗城史多さんの
指はミイラ化してしまいます。

※ちょっとグロいので心臓の弱い方は見ないでください(フリではありません)

最終的に、栗城史多さんの指は再生する
ことはなく、2013年11月に左手5本
2014年1月に親指以外の4本の指を
切断手術することになりました。
 

栗城史多の評判や実力

栗城史多さんの評判や、登山家としての
実力はどうだったのでしょうか?

札幌国際大学時代から登山を本格的に
始めて、登山家歴としては約14
なります。

その間、マッキンリーを始めとした
6大大陸最高峰の単独登頂
や、8度の
エベレスト登頂へのチャレンジ
をし、
経験は十分だったと思われます。

しかし、プロの登山家やネット上での
評判や評価は低く「プロの登山家では
ない」「無謀」「登山をなめてる」「この
ままだと99.999%死ぬ」
などの意見が
多く見られます。

山岳ジャーナリストの服部文祥さんは、
「栗城くんは登山家として3.5流」
言い切っています。


 

AbemaTV企画の詳細

栗城史多さんは、今回のチャレンジを
AbemaTVの企画で生配信する予定に
なっていました。

しかし、栗城史多さん自身が、低体温症
によってお亡くなりになってしまった
ので、この企画は中止となりました。

その代わりに、AbemaTVでは急遽
「栗城史多がエベレストで死去 挑戦
の足跡」
という追悼企画を準備し、
同日の21時から放送しました。

残念ながらこの番組は見られなかった
のですが、AbemaTV側としての栗城
史多さんに対する誠意が伝わって
きました。

 


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栗城史多のスポンサー

スポンサー
栗城史多さんをサポートしていた
スポンサーの一覧をご紹介します。

江崎グリコ
ニュートリー
MILLET JAPAN
メンバーズ
A|X HOPE
ディーナビ
JDC
学研
キャノンマーケティングジャパン
SanDisk
正栄プロジェクト
ハイ・ゲンキ
Septeni
FINANCIAL AGENCY
アメリカンエキスプレス
ハイアール
ユーグレナ
yeah!
悠友
MYALO
ニチガス
i Cell Network
THEO
太陽工業
IMS
アチーブメント
ピーアーク
カーセブン

大手企業から中小企業まで、想像以上に
多くの企業が栗城史多さんのスポンサー
になっていた
んですね。

これだけ多くのスポンサーがいると、
金銭や物資面でのサポートは助かります
が、私だったら期待に応えないと
いけないというプレッシャーで
押しつぶされそうです。
 

まとめ

今回は、8度目のエベレスト登頂に失敗
し、帰らぬ人となった栗城史多さんに
ついてお伝えしてきました。

「勇気ある行動」「無謀」「感謝」など
良い評判、悪い評判など様々ですが、
個人的には、「冒険の共有」「否定という
壁」
という言葉の元に、人生を全うした
栗城史多さんの勇気とチャレンジを
称えたいと思います。

マハロ

 


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